タイトルの通りです。
エイプリルフールでもなんでもありません。
一生忘れんよう、ここに備忘録として残します。
1.13。
この日は私達二人にとって忘れることのできない1日となりました。
奇しくも、逆から読めば「3.11」。
不思議なもんですね。
この日、私達二人が住むはずだった新居が火事になりました。
引越は1月17日の土曜日、今日がその日でした。
火事前日の1月12日はReform業者のタカノさんが主催してくれた引渡式があり、
Reformに携わったすべての業者さんが集い、私達の門出を祝っていただきました。
お一人おひとりがコメントしてくれました。
テープカットを人生初めて行いました。
サプライズでMovieや、様々なプレゼントまで。
山あり谷ありで少しずつ乗り越えてきて、このイベントをやってくれたので
本当に良い業者・・・パートナーだと思いました。
火事当日は取引銀行で最後の金消契約(住宅ローンを借りる契約)があり、
最後の完工金である1,000万円を借りたところでした。
そして、その報告を兼ね、仕事終わりに妻と二人で新居のカーテンを
博多駅ビルのお気に入りのShopで選んでいる最中でした。
その電話は突然私のもとにやってきたのです。
タカノさんの現場監督である方から「三原さんの家が火事です」と。
頭が真っ白になりました。
考えるよりも先に体が動き、妻を連れ、車で現場へ。
向かう車内で「嘘だよね」と何度も自分たちに言い聞かせつつ、
最悪の事態になってもお互いを責めることだけは絶対にやめようと固く決意していました。
近くに向かえば向かうほど、胸がギュウっと締め付けられました。
現場の近くに来た時、すでに赤いサイレンが煌々と光っていました。
妻は現場を見ることができないと判断し、近くで車を停車させ、
私1人で車を飛び出し、全速力で現場へ。
大きな消防車が数台停まり、マスコミも数組、人だかりも。
最悪の事態が頭をよぎりました。
不幸中の幸いか、外から見る分は大きな変化はなく、焦げている部分が幾つか散見。
隣近所の方々まで火が及んでいない様子でした。
消防の方に話を聞いたところけが人はいないとのこと。
まずはそのことに少しの安堵感を覚えました。
傍ら、現場監督が先に到着しており、挨拶しましたが、言葉をつまらせていました。
その後、社長や数名の担当の方も休みの中、駆けつけてくれました。
みな一様に困惑した表情をしていました。
現場について1時間以内で完全に鎮火。
その際中、警察の方数名、消防の方数名から現場に関することの様々な質問を受けました。
最後に出入りしたのは誰か、
最後に何をしていたのか、
火の不始末はなかったのか、
発火の可能性の有るもの何か、
どのような扱い方をしていたのか、
名前は、住所は、連絡先は・・・。
何度も何度も同じような話をすることはとても辛かったです。
もちろん、必要なことだと理解しているので非難するつもりなど、一切ありません。
その後、現場に入らせていただきました。
外観の状況とは打って変わって、予想以上に燃えていました。
玄関のドアは突入するために、鍵は破壊され、玄関ポーチは泥だらけ。
そこから目線を上げると、見えた階段は黒コゲで、とても2階には登れないほど。
Livingに入り、前日まで頑張って塗装をした床は泥にまみれており、
さらに目線を上げると、2階は確認ができないほど真っ黒でした。
1階はほとんど延焼していないものの、
熱や煙での影響かすべての壁のクロスは変色していました。
涙は一切出ませんでした。
焦げた臭いだけが絶え間なく体全体を覆っていました。
警察の方や、消防の方の指示に従い、
質問に答え、指示通りに指をさして何枚も写真を撮られ、質問に答え。
屈辱的でした。
一般的にいう夢のMy Homeを引越目前で焼失させたにもかかわらず、
これまで経験したことのない撮影がただただ続きました。
淡々と作業をしてくれたことだけが唯一の救いでした。
重ねて申し上げますが、原因究明には必要なことだと
十分理解しているので非難等をするつもりは一切ありません。
ただ、辛かったです。
火事のことを知った両親から何度も連絡がありました。
電話の向こうで声を震わせる父がいました。
その奥で母の泣く声が聞こえました。
その日、完全に解散したのは夜23時頃。
ご尽力いただいた消防の方、警察の方を見送り、妻のいる車へ。
現場を見ずにそのまま真っすぐ帰りました。
珍しく兄からも電話がありました。
翌朝、重い体を起こし、再び現場へ。
現場に着くやいなや、それまで気丈に振る舞っていた妻が泣きました。
妻は家を探す当初、マンションが良いと言っていました。
でも私が戸建てにこだわり、承諾を得ました。
妻はそんな私の考えも素直に受け入れ、
面倒くさがりな性格をおさえ、家造りに精一杯付き合ってくれました。
何件も中古物件を探しわたり、
寝る間も惜しんで間取りを考え、
せっかくの休日でも終日使ってD.I.Yを文句ひとつ言わず行い、
自分の買いたいものを控え、家に必要なものを黙って購入し、
戸建てにするので、ずっと飼いたかった猫の仕様を考え、
ようやく漕ぎ着けたMy Homeの実現を、私以上に楽しみにしてくれました。
その思いがふとしたことですべてなくなりました。
妻はしばらく家の中に入ることができませんでした。
その頃、火事の原因を特定させるために細かい調査を行いました。
現場に落ちていた固形物の確認、
放火などの可能性を確認するための検知、
今回の発火した最重要物の特定、など。
確定事項ではないものの、ほぼ確実な発火の原因は
オイルフィニッシュを拭きとったウエス(タオルのようなもの)を湿ったまま重ねて置き、
そのまま密封してあったことから、自然発火を招いたものでした。
オイルフィニッシュとは木材に塗布する塗料で、木材の呼吸を遮ることなく浸透させ、
独特な色合いをつけるもので、新居で使用する木材にはほぼすべて使用していました。
通常、オイルフィニッシュは浸透力が高いので
ウエスで拭きとってもあまり付着しないのですが、
1階の床は事前に業者さんにクリア塗装をしてもらっていたので、
オイルはあまり浸透せず、オイルをほとんどを拭き取ることとなりました。
さらに悪い条件として、階段の下の置いていたため、
発火した際に火が階段を伝って上にのぼり、2階の延焼を招いたという結果に。
塗料の缶に注意書きがありましたが、まさかそんなことで発火するとは想像もできず。
加えて、ゴミは外に置いていれば小さなボヤだけで済んだのかも・・・
今さら後悔しても仕方がないので、前を向くしかない。
近隣の方に火が及ばなかったことと、ケガ人がいなかったことが良かった。
幸い、火災保険に加入していたので、家はある程度作りなおすことができます。
修繕金額や精神的苦痛は大きいですが、勉強代として受け入れよう。
ただ、一生懸命作っていただいた職人さんやタカノさんには申し訳ない気持ちでいっぱいです。
それでも「元気を出してください。こちらも精一杯頑張りますから。」と励ましてくれました。
私達もさっさと前を向いて、一緒に作りなおさなければ。
さて、今回のブログは火事の一連を備忘録としてまとめるだけなので
その後のことなどは、次回以降にまとめていこうかな。
最後は、火事の状況を写真で。
↑ 引渡式の後に行った床塗りを終えて、姉と3人で。
写真左側にあるビニール袋に発火元のウエスが入っています。
↑ 一番燃えた箇所。
↑ 階段は登ることもできず。
↑ 元は真っ白の照明。
↑ 吹き抜けの天井部分。
↑ 煙と水を含んで窓に付着。
↑ 煙でついた汚れ。
↑ 火事翌日の現地調査。10人近くいらっしゃいました。
↑ 泥だらけの床。
↑ 外観に大きな変化はないものの、軒下から煙や火が出た跡。
↑ 2階。
↑ 火の熱で窓が割れ、変色。
↑ ボロボロになった電気スイッチ。
↑ 下から見た2階。
↑ 照明のあったところから放水後の水が絶え間なく流れ落ちる。
↑ 一度も使ってない脱衣所とお風呂。
↑ 発火元は穴が空きました。
↑ 焼け焦げた階段からの2階部分。
以上。
6 件のコメント:
バーグスパおごるけん
元気出せよ!
サンキュー!
毎日おごってくれ!笑
こういうことが起きるから人生は辛いねぇ。勉強代だね。夫婦も家族もご近所も無事でよかった!
>みほ
よくこの記事にたどり着いたねー。笑
内容は重たいけど、完全にすっきりしとるぜ★
ご近所さんも全部お詫びしてきたけど、
みんなええ人ばっかりやったけん、仕切り直しやな。
無事でよかったです!ほんとに!
>たくや
ありがとね!
最初メールした時は驚かせたけど、またよろしくねー!
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